◆◇◆日常そのままが普遍へ 小津安二郎の鎌倉の山◆◇◆

「天上大風」2003年7月号(創刊3号)特集「小津安二郎の散歩道」
 
『晩春』がはじまって数分後にちらっと映る山を見たとき、「これは私の部屋から見える山だ」と思った。私の実家は鎌倉の長谷にあって、その実家の二階の私の部屋の窓からずうっと眺めつづけた山にそっくりだったのだ。
 いや、笠智衆が『秋刀魚の味』で岸田今日子演じるバーのママのことを、死んだ妻に「そっくりだ」と言ってから、「よくよく見れば、そんなに似てないけどね」と言うように、よく見るとそんなに似てるわけじゃなくて、だいぶ違うけれど、やっぱりビデオで『晩春』を見るたびに、「これはあの山だ」と感じるし、『麦秋』に映る山も「これはあの山だ」と感じる。二つの山はそれぞれ別の山で、実も蓋もない言い方をすれば、鎌倉の山はどれも低くて小さくてこんもりしているから、全部似て見えてしまうのだが、小津安二郎の映画に映る風景にはそういう表面的な類似をこえた普遍性があるように感じられる。
 同時代の黒沢明や溝口健二は時代劇だったり遊郭の話だったりと、フィクションであることを明確に打ち出したところで映画を撮ったけれど、小津は日常そのままの映画を撮った。黒沢・溝口と違って、成瀬巳喜男の映画は現代を舞台にしたものだったけれど、そこに生きる人物たちの考え方や行動様式には激しいドラマが内包されている。それに対して小津の人物たちは日常そのままだ。穿った見方をすれば小津映画の人物たちの静かさは日常ではありえない静かさなのかもしれないが、それゆえに時間が経つほどに日常でありつづけているように感じられてくる。ひとつ違うところは、家族にいつも一人欠員(つまり死んだ人)がいて、その死者が家族の現状に影響を与えていることぐらいだろう。
 フィクションであると感じるということは、映画の舞台となっている“時間”か“空間”のどちらか、ないしその両方が、いま私たちが住んでいるこの世界と「別のところにある」と了解して見ているということだが、日常と感じてしまう場合、映画の舞台というか情景はすぐそこにあるような気持ちになってくる。映画のエンド・マークと一緒に終わるのではなくて、昭和二十年代、三十年代に建てられたとおぼしき木造家屋の中で、いまでも『晩春』や『麦秋』や『秋刀魚の味』のような家族が暮らしていることがないとは言えないじゃないかと感じられてくるのだ。
 しかし、そう感じているのはこの私なのだろうか。この私とは、いまここにいて、あなたではなく、彼ではなく、彼女でもないと素朴に信じている私なのだろうか。
 風景を見たり人物を見たりすることは私という主語があってはじめて成立することのように思い込んでいるけれど、私よりさきに風景があり人物がいた。遅れてきたのはむしろ私の方だ。私というのは、それらを映すレンズのような、あるいはそれらを目撃しつづける映画のようなものなのかもしれない。
 昭和二、三十年代に建てられた木造家屋が小津映画につながっている以上に、鎌倉の低くてこんもりした山は小津映画につながっている。それを見る視線は風景から与えられたものだから、私のものではなくて、小津安二郎自身のものであり、小津映画のスタッフのものであり、出演者たちのものであり、小津映画を見た観客すべてのものなのかもしれない。小津映画の静かな日常が死者によって保証されているように、私たちの視線もまた死者によってもたらされたもので、小津安二郎の鎌倉の山を見ることは、一種私を離れる時間なのではないかと思う。


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