◆◇◆この狂った社会◆◇◆
神奈川新聞2009年2月20日(土)リレーエッセイ「木もれ日」



 「昨年度、史上最年少で賞金一億円突破した、ゴルフの石川遼選手」この言い方、変でしょ?
 どこが? って、これじゃあ石川遼君は貯金通帳持ってゴルフしているように感じませんか? 石川遼君が持っているのは通帳じゃなくて、ゴルフのクラブで すよ。
 新聞・テレビ・雑誌……等々は、一方でいまの社会がモラルや思想でなくカネがすべてになってしまった、とか何とか嘆いていながら、他方ではこういう風に 平気で、カネで選手=人間を形容する。
 就職活動をしている学生にインタビューすると、「将来的に安定した仕事」という答えが返ってくるが、これも変だ。世間の人たちはそれに疑問を感じたりし ないのだが、そこには「自分が何をしたいか」という気持ちが何もない。金額の多寡こそ違え、天下りを繰り返す官僚と本質は同じではないか。だいたい、二十 二、三歳で就職してから定年まで約四十年、その間ずうっと安定している業種なんて、いまの社会ではありえない。大人はまずそのことを学生に教えるべきだ。
 そうすると職業選択の優先順位は、「安定」や「収入」でなく、必然的に「自分が何をしたいか?」になる。自分が本当にやりたいことであれば、収入なんて 少なくたって関係ないし、本当にやりたいことにはリスクはつきものだ。テレビでよく取り上げられる、新しい農法・栽培法を成功させた人なんて、どれだけ試 行錯誤を繰り返したことか。テレビでは“成功”という結果だけに焦点が当てられるが、試行錯誤を繰り返す人は、そのプロセスそのものを素晴らしいと感じて いるのだ。
 小説家・アーチスト・ミュージシャン、みんなそうだ。成功した人は金持ちになるが、その世界に入ったときにはカネのことなんか考えていない。自分がこの 世界で通用するのか? 頭にあるのはそのことだけだ。寝ても覚めても、自分がやりたいことは何か? やるべきことは何か? そのことだけを考えている。か ろじて生活できればそれでいい。
 私はきれいごとを言っているのではない。この一途さを「きれいごと」と言って冷笑し、「自分がやりたいことは何か」を若者に考えさせないようにしてい る、この社会が狂っているのだ。


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