◆◇◆11月の青く澄んだ空◆◇◆
神奈川新聞2008年11月1日(土)リレーエッセイ「木もれ日」


 十一月は秋というより晩秋で、冬の気配が日に日に濃厚になる月だと、今年五十二年目の人生の、物心ついて以来の四十年間ぐ らい思っていたのだが、最近数年は十一月こそが最も秋らしい月だと感じるようになった。それが温暖化の影響であることは間違いないが、いまはとにかく一月 遅れの秋を楽しみたい。
 十一月の晴れた日は空がものすごく高い。一口に「晴れた空」といっても、季節ごと地域ごとに、青の色合いに違いがあるのは何も気のせいでなく、大気中の 水蒸気の濃度と太陽の高さつまり光の射す角度によって、青の濃さや透明度に違いができるからだ。真夏の黒いほどに濃かった青と比べて、十一月の空の青は柔 らか味があり、どこまでもどこまでも視線が伸びていくように感じられる。私がそれを一番感じるスポットは、近所(世田谷)の羽根木公園の石段の途中だ。
 羽根木公園は昔は「根津山」と呼ばれていた小さな山を切り開いた公園だから、入り口にまず石段があり、それをのぼっていくと上にユリの木という北米原産 の真っ直ぐ上に向かって伸びる大木が何本も並んでいる。石段をのぼっていると自然とユリの木の色づきはじめた葉に目がいき、視線が木のてっぺんまでたどっ ていくと、その先に青く澄んだ空がある!
 人の目というのは、ただただ広がっている風景は認識しにくいようにできているから、空もただ見上げるだけではなんだかピンと来ない。が、見上げた木の てっぺんの向こうとなると、見事に空!として目に飛び込んでくる。ビルの向こうの空でも理屈としては同じだが、やっぱりつまらない(それでも見上げないよ りはよっぽどいいが)。子供の手から離れた風船が空高く舞い上がっていくのを目で追うのも素晴らしい効果だが、風船はいつもあるわけではない。
 小高い山や丘をのぼっていって、ふと見上げた視線の先に青く澄んだ空がある、というのは体の動きとしてもきっとやっぱり一番いい。

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