◆◇◆たいせつな本(上)小島信夫 『寓話』◆◇◆
朝日新聞 2008年1月6日(日)


 小島信夫の小説は他と全然違う。普通の小説が線で進むとしたら、小島作品は面の全体で展開する。普通読者は小説を目で読み 頭で理解するが、小島作品を読んでいると自分がいる空間の空気が変わっている。空気は透明感を失い不穏な重量を帯びはじめる。20代の末に小島信夫を読む ようになって、私はリアルというのはこういうことなのだと、はじめて本気に小説にとっての「リアル」「リアリティ」ということを考えるようになった。
 『寓話』は私にとって最初の小島信夫体験ではないが、この本は小島作品の中でも圧倒的だった。87年5月のある晩、読みはじめてしばらくすると胸が怪し く騒ぎ出して、居ても立ってもいられない気持ちになった。山が動くように、私の中の大きなものが『寓話』の文章と一緒に動き出す感じだった。いや、激しい 話では全然ない。文章は重厚で、一文一文が時間の厚みのようなものを引き連れているから、ぬかるみを歩くように読書は疲れる。しかし疲れつつも私は、疲労 を糧としてぐんぐん進んでゆく。
原稿用紙にして1100枚、単行本で560ページのこの本を、遅読の私が異例にも2日かからずに読んだ。しかし読み終わると何が書いてあったかまったく憶 えていない! 長大な交響曲にどっぷり浸かっても、音が去った後にその再現ができないのと同じなのだ。小説とはまさに「読む時間」の中にしかない。
 私は20代で小説家になるはずだったのに、勤め人になって何年か停滞していた。それがあらためて動き出したのは間違いなく『寓話』の力で、それから数ヵ 月後に私はデビュー作となった『プレーンソング』を書き出した。
 しかし『寓話』は87年初版のままほとんど読まれずに絶版となった。私はこの小説の素晴らしさを証明するために仲間を募って個人出版することにした。文 字入力と校正を十数人で分担し、若いみんながその作業に心酔した。『寓話』はまさに21世紀に読まれる小説だと確信した。06年3月に完成し、半年前に増 刷することができた。
 

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