◆◇◆都市の視線(1)◆◇◆

「風の旅人」第3号(2003年8月1日発行)
*「風の旅人」は、ユーラシア旅行社が発行する隔月刊のグラビア中心の雑誌 
http://www.eurasia.co.jp



 

 よく「渋谷で遊ぶ」とか「原宿で遊ぶ」という言い方をするが、「遊ぶ」という言葉の意味が私にはいまだにわからない。「遊ぶ」というのは私にとって、広場で缶蹴りをしたり、フライなんか絶対に捕れないような友達が混ざって野球をしたり、あるいはもっとずっと子ども子どもした空想に導かれていろいろなところを探検したりすることしか指さない。
 大人にとっての「遊ぶ」ということが何をすることなのかわからなかった私は、大学一年のときに四年生の先輩に「『遊ぶ』って、何をすることなの?」と訊いてみたことがあった。すると、彼は「映画見て、買い物して、飯でも食って、夜になったら酒を飲むことだよ」と答えるのだった。「なんだ、そんなことか」と私はがっかりした、というか「『遊ぶ』ってそんなことなの? それじゃあ、何にもしてないじゃん」と、さらに食い下がったのだが、彼は「映画見て、買い物して、飯食って、酒飲んだら、それでもうじゅうぶんだろ」と言うのだった……。
 その先輩とは、その後大学を卒業してからも、毎週毎週競馬場に通ったり、夏に一緒に旅行して下手なナンパをしてみたり、いろいろしたけれど「あれが『遊び』だったかなあ……」と、今でもピンとこない。競馬でもナンパでも、行為に対して結果が問われることになっているのだから、そんなものは「労働」であって「遊び」ではない、というかもっと根底的なところで子どもの頃のあの「遊び」が持っていた躍動感がない。酒なんか飲んでいたら、いくら話が盛り上がっても「遊び」とは思えない。カラオケなんか行ってしまったらいよいよ「遊び」から見放された大人が時間を潰しているどころか、人生を潰しているような気持ちになり、その憂さを晴らすためにマイクを掴んで絶叫するから、ついでに咽まで潰れてしまう。
 だから三十歳ちかくなったときに、突然、横浜の山下公園で夜の九時頃から男女合わせて八人ぐらいで「はじめの一歩」をやったことは、やっぱり遊びだったから、あれから十七、八年も経った今でもしっかり憶えている。そこにいた女の子に対して私が下心がなかったかと言われたらやっぱり「あった」としか答えられないが、その夜はそういうことは起こらなかった。「はじめのイーポッ!」と言って、鬼から逃げて「ダルマさんが転んだ」と言っているあいだに鬼に再接近していく過程は、そんな下心をはるかかなたまで飛ばしてしまった。

「人間には二つのタイプがある」式の言い方はいくらでも可能で、そんなことを真に受けていたら馬鹿になる一方だが、ひとつだけ言わせてもらえば、大人には二つのタイプがあって、ひとつは進んで大人になった大人で、もうひとつは子どもじゃなくなったために大人としか名乗れなくなった大人――で、私は間違いなく後者だ。
「大人の遊び」と言えば「飲む・打つ・買う」だが、どれもカネがなければできないことで、経済活動に巻き込まれているような行為は「遊び」とは言えないじゃないかと、子どもじゃなくなったために大人としか名乗れない大人である私は思う。
 イスラム圏に行くと、子どもたちは一日じゅう広場や路上でサッカー・ボールを蹴って遊んでいて、大人たちは一日じゅうお茶を飲んで、子どもたちがボールを蹴っているのを見ながらしゃべっている、という話が嘘か本当か、イスラム圏に行ったことがないからわからないけれど、人間として理想的な時間(人生)の過ごし方はそれなんじゃないかと思う。その人生にあっては、子どもも大人もお互いの過去と未来が視界に入っているから、生きることの連続性が保証されている。。
 じゃあ、いまの渋谷や新宿の繁華街はどうなってるんだろう。おカネを持っていなさそうな十代の子どもたちがうじゃうじゃ集まってきている。彼ら・彼女らは主観的な意識としてはそこに「遊び」に来ているのだろうが、十歳以下の子どもには「遊んでいる」とは見えないだろう、というか私には「遊んでいる」ように見えない。わざわざ渋谷や新宿に来るたびにもやもやが溜まるんじゃないか。
 もやもやしているのは十代の特徴だし、そのもやもやがなくなってしまったら自分が自分でなくなるように感じているのも十代というものだけれど、ああいうやり方はじつは大人に誘導されたもののような気がする。路上で(芸術や表現行為として)パフォーマンスをして見せる人の行為が、それを目撃する人がいなければパフォーマンスとして成り立たないように、彼ら・彼女ら自身も大人の視線を意識してああいう風にしているんじゃないだろうか。大人に眉をひそめられたり、「理解できない」と言われたりすることが自分たちの存在証明だと思っていて、もしそうだとしたら、彼ら・彼女らはあいにくすでに大人の視線や尺度を自分の中に取り込んでしまっていることになる。
 で、その「大人」の方だが、これがまた進んで大人になったような大人で、大人が大人である証拠は、十代の子どもたちのやっていることに眉をひそめたり、「理解できない」と言うことだけしかなくて、子どもたちのやっていることを「理解できない」と言えるようになったら大人なんだ、というな……。つまり、子どもの側からも大人の側からも、彼ら・彼女らがそうであることの根拠が奪われていて、現象しかない……。と、ここまで書いてきて、これは「子ども観」でも「大人観」でもなく、「都市観」のつもりでいたのだが、「繁華街観」でしかないことに気がついた。どうやら私は、都市というものがどういうものなのか、わかっていないらしい。しかし、今の東京に「都市」と言える場所はあるのだろうか。
 新宿は都市なんだろうか。繁華街はあるけれどそれを取り巻いている新宿の繁華街以外の部分というのはどういう場所なんだろうか。都庁のまわり? 駅の南口から広がっているあたり? 新宿御苑? 思いつくどこにも人が暮らしていない。新宿はすでに都市ですらないのかもしれない……。
 渋谷だと少し離れれば人が住んでいる。八〇年代前半には私自身も渋谷駅と原宿駅に歩いていけるところに住んでいたことがある。しかし当時からすでに外の人たちが一番集まるところは、徒歩圏に住んでいる人の気持ちと段差があった。「気楽な服装で行きにくい」というような理由ではなくて(近所に住んでいればそんなことは関係ないものだ)、人が集まり過ぎてごちゃごちゃしているという理由で、単純にそこに行きたくないのだ。今はその段差がもっと大きくなっているだろう。渋谷駅の周辺に住んでいる人たちはセンター街を通りたいなんて、きっと絶対に思わないだろう。
 ――そして、そういう人たちは、集まってきている十代の子どもたちを見て、眉をひそめたり、「理解できない」と言うこともないだろう。何故なら、そういうことを表明することが大人だとは思っていないから。かつて都市の核たりえたかもしれないが、今では都市自身がその存在を持てあましてしまっているだろう繁華街には、根拠を欠いた視線だけがあって、その視線を持ったり、それに見られたりすることが、自分の存在証明だと錯覚している人たちだけを呼び寄せているのではないか……。


◆◇◆都市の視線(2)◆◇◆

「風の旅人」第4号(2003年10月1日発行)

 私は高所恐怖症だ。「××恐怖症」という言葉には、ことさらネガティヴな特徴をもって自分をアイデンティファイする文学的な臭いがして使いたくないが、しかしやっぱり私は高所恐怖症だと思う。
 小学校の頃は誰より高い所が好きで、下にでっぱりが何もない垂直の壁面の四階の窓に立って、両手を離して片足を外に向かって振り上げたくらいだったのに、中学の一年か二年のときにはすでに怖くなっていた。いつ怖くなったのか、はっきりと特定できる出来事はなかったと思うが、とにかく小学校六年生から中学一年生ぐらいのどこかで、感受性だか空間の認識だかが変わって高い所が怖くなっていた。先日も江ノ島の展望台に友達と昇ったのだが、最上階で私は普通に立っていることができなくて膝をついて動き回っていた。
 今年新築された江ノ島の展望台は、ビルでいったら八階ぐらいにあたる最上階が(それとも私が怖かったからそう感じただけで本当は五階ぐらいなんだろうか)簡単な手摺りで囲われているだけで、ヒョイッと飛び越えればいつでも真下まで落ちていけるようになっている。高い所を怖がる人間は、「自分が不意に飛び降りてしまうんじゃないか」と感じるから怖いんだという説があるが、これは本当で、人間には自分で制御できない衝動がつねに息づいているということを、ああいう所にいると実感する。だから高い所にいるあいだ、私は自分が不意に飛び降りてしまう不安とつねに闘わされることになるのだが、そこから離れて、夜、布団の中に入っても「あのとき飛び降りていたら……」という思いが襲ってきて、足の裏がひんやりしたり、ピリピリ痺れるような感じがしてきたりする。
 しかし高い所でもガラスで覆われていたら「不意に飛び降りる」心配は少ない。ガラスを突き破って飛び降りるかもしれないのだから、心配ゼロとはいえないがかなり薄い。だから地上三十階四十階ぐらいのビルでは気楽にまわりの景色を楽しんでいられる。
 遠くに見える高いビルを「あれは何だっけ」と言ったり、夕陽で稜線がくっきり映える山の連なりを眺めたり、夜になれば街灯の光がうねうねと続いているのを見下ろしたりして、そういうときに怖いと感じた記憶はない。余談になるが、東京の高い建物はどれに昇っても富士山が見えるけれど、東京から約一〇〇キロ離れた富士山を見ていると、視覚というのはどうなってるんだろうと思う。
 一〇〇キロというのは本当は近いんだろうか。それとも視覚というものの能力が奇妙に優れているんだろうか。普通の視力さえあれば月の表面の模様だって見えてしまう。私たちは普段、視覚と連動させて手作業をしているけれど(字を書いたり、ピアノを弾いたり、裁縫をしたり……)、それらの手作業はじつはほとんどどれも盲人にもできる。実際、手作業では視覚は手に対して補助的な役割しか果たしていないわけで、視覚が純粋に視覚として働くというかランナウェイしたら視覚は何を人にもたらすのだろう。それはともかく……。
 地上三十階四十階ぐらいのビルでは景色を楽しんでいられるけれど、十階前後のビルにいると突然いてもたってもいられないくらい怖くなることがある。
 一度目はマンションの十階(だったかな)に住んでいる友人のところに訪ねていったときのことで、そこの通路は開放型(?)で、胸の高さくらいのコンクリートの囲いを隔てて外に素通しになっている。十階を吹く風が顔に当たって、それだけでもすでにじゅうぶんに感じ悪かったところに、隣の棟の同じフロアの通路を私と同じように歩いている人が見えて、その途端に自分がいまいる場所の高さが実感されて、もう膝がふにゃふにゃと折れそうになった。
 もう一度は渋谷駅前にあるビルの、八階にあるレストランで食事をしていたときのことだった。窓際のテーブルでもないし、窓から見えるビルの同じ高さを人が歩けるような通路もないので、「八階も三階も同じだよ」なんて笑って食べていたのだが、ひょいっと見る角度を変えたら、ビルの向こうを首都高速の高架が走っている。高架は私のいる高さとほぼ同じ高さを走っていて、下には何もない。その瞬間に自分がいる高さが「見えて」しまって、食事どころではなくなった。
 展望台から「自分が不意に飛び降りてしまうんじゃないか」と感じる怖さより、同じ高さの所に自分以外の人がいて、それがフィードバックされて自分のいる高さが「見える」怖さの方がはるかにインパクトがある。展望台の怖さは限られた場所での怖さだが、フィードバックされる方の怖さはビルの多い都市ではどこにでもある。
 目の見える人間にとって自己像が鏡像によってもたらされた部分は少なくなく、自分と同じことをしている人間が見えることも鏡像と同質の役割を持つことは私の“十階体験”が語っている。私が怖さを感じるのは高い所だけだが、都市という空間ではフィードバックされることによって初めて自覚される種類の恐怖があちこちにあるんじゃないかと思う。視線のフィードバックによる自己像の生成のサイクルから抜け出さなくなって、マイクがキィィィーーーン!という音を立てるように、自己像がハウリングを起こすのだ。海や山にいれば、視線は遠くまで延びていくことができるけれど、都市ではすぐに遮断されてしまう。
 近代小説とは自我をめぐる小説のようなものだが、小説だけでなく近代の思考が総体として自我に圧倒的な優位性を与えていて、それは当然、都市での生活と無縁ではない。自然や計量化されていない時間についての思索を醸成させてきた人たちが住んでいるのは都市化されていない土地だが、その土地では視線が遮断されないから自己像のハウリングが起きない。だからきっとその土地に行けば、そこに住む人たちの言葉を実際に聞かなくても、土地の人たちの感受性や思考法に近づくことができる。
 そういう都市を設計するのはたいして難しくないような気もするが、何しろ都市には人が多すぎて……、人を見るだけで自己像は過剰に生産されて……、ハウリングを起こしてしまう……。
 


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